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札幌地方裁判所 昭和31年(ワ)227号 判決 1958年12月24日

原告 宇熊ヒサノ

被告 国 外一名

国代理人 宇佐美初男 外四名

主文

被告らは原告に対し、各自金二〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三三年七月二二日から支払いがすむまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その余を被告らの負担とする。

この判決は、原告においてそれぞれ被告らに対し、各金六万円の担保を供するときは、右第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一、申立

原告代理人は、「被告らは原告に対し、各自金一、〇四八、五七一円およびこれに対する昭和三三年七月二二日から支払いがすむまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

被告ら代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、請求の原因

一、被告安達の権利侵害行為について

被告安達は被告国の経営する国立札幌病院の自動車運転手として勤務しているものであるが、昭和三〇年七月二一日午前二時三〇分ごろ、被告国所有の乗用自動車(札方三-一〇号)を札幌郡豊平町字月寒五区所在の車庫に格納すべく、札幌市菊水西町から右車庫にむけ時速約三〇キロメートルの速度でこれを運転し、同市豊平一条一丁目の通称大門通りにさしかかつた際、前方を通行中の原告に追突し、原告に対し右方第三肋骨々折左顔面左肩部および両側下し打撲傷の傷害を与えた。

二、被告安達の過失について

右は被告安達の過失に基くものである。すなわち、

a、本件事故現場は巾員約二六メートルの勾配のない直線道路で、その両側には約一五メートル毎に二〇〇ワツトの街灯が常置されており、同夜は晴天で風もなく、原告以外に人通りのない見通しが良好な場所であつたのにかかわらず、被告安達が原告を認めず、かかる事故を起したのは同被告がその際前方注視義務を怠つていたからに外ならない。

b、同被告は平素はほとんど酒をたしなまないのに、当夜は夕食もとらずに清酒二合を飲んだのであるから相当酪酊していたことがうかがわれる。もとより本件事故は飲酒後約四時間後に発生したものであるが、前記のごとく前方を歩行中の原告を認めなかつたばかりでなく、追突したことにも、またその後原告が自動車前部のバンバー附近に乗り上げていることにも気付かず、約六〇メートルも進行してはじめて気付いたのであるから、これは前方注視義務違反の過失の外、同被告の酩酊運転にも起因するものである。

c、さらに同夜、同被告が本件事故現場付近にさしかかつた際、前方から進行して来た乗用車が砂塵をまき起したため、原告を発見できず本件事故が起つたものとしても、このような場合には、一旦停車して砂塵の去るのをまつか、または警音器を鳴らして人の歩行速度の程度に徐行すべきであるのに、自分の前方を歩行しているものはあるまいと軽信し、時速約二〇キロメートルに減速しただけで警音器も鳴らさず、進行したものであるから、本件事故は同被告の右過失によるものである。

三、本件事故による損害について、

a、得べかりし利益の喪失による損害

原告は従来からリヤカー等を使用して野菜の行商を業としており、早朝二時ごろから夕刻まできわめて長時間にわたる労働に従事していたもので、零細な資本ではあるが、現金で仕入れ、かつ現金で販売するという堅実な方法でやつていたため、貸倒れなどによる損失もなく、また休日は天候により一か月につき、大体四日であり一月に正月休みとして約二〇日間を休む外ほとんど毎日行商に従事し、月平均金二〇、〇〇〇円以上の利益を確実にあげて来たのである。そして原告は明治二七年一二月三日生で本件事故当時満六〇年七か月の老婆であつたが、前記のごとく長時間の労働にも堪え得ることからうかがわれるように、生来健康にめぐまれ、またいわゆる働き手でもあつたので、当時から少くとも四、五年間は右業務に従事することが可能であつた。

ところが、原告は本件事故により、ただちに国立札幌病院に収容され、入院加療を受け、昭和三〇年一〇月二四日退院したが、現在も全治せず、身体の各所にとう痛をうつたえ、またさむけのため真夏でも厚着をし、歩行も困難でほとんど終日臥床している状態であるから、野菜の行商などの労働はもちろん収入を得べき労働は不可能である。

よつて原告は当時から少くとも四年間の得べかりし利益を失い、それと同額の損害をこうむつたわけであるが、事故当時から昭和三三年七月二〇日まで三年間の損害額は金七二〇、〇〇〇円、同月二一日から昭和三四年七月二〇日までの得べかりし利益は金二四〇、〇〇〇円であるが、これは将来の利益であるからホフマン式計算法により中間利息を控除すると、右期間内の損害額は金二二八、五七一円である。

したがつて、原告は被告安達に対し、金九四八、五七一円の損害賠償請求権を有するわけである。

b、慰謝料

原告は本件事故のため前記のごとき傷害を負つて甚しい苦痛を受け、かつ後遺症状として前記の外、味覚も甚しく変化し、すべての食物に苦味を感じている状態である。

また、原告は独立心が強く、病弱な夫と年少の子女二人を抱きながら自らの収入により生活を支え、子どもらの経済的負担とならないことを念願していたのであるが、本件事故により全く労働不可能となり、子どもらの経済力に依存せざるを得なくなつた。この精神的苦痛はきわめて大である。

さらに、本件事故直後原告は国立札幌病院に収容されて治療を受け、その間些少の見舞の金品を受けた。しかしながら同病院側の原告に対する態度はきわめて冷淡であり、医療費を病院側で負担していることから、あたかも施療患者のごときとり扱いをなし、苦痛を訴えても適切な処置もせず、原告の傷害が全治していないにもかかわらず、全治したものと称して強引に退院させたのである。したがつて原告は病院生活を通じ見舞による慰謝に倍する精神的苦痛を受けたものである。

以上の諸点からすればその精神的損害は金一〇〇、〇〇〇円をもつて相当とするから、原告は被告安達に対し同額の請求権を有する。

四、被告国の責任について、

以上の損害は、被告国の被用者である被告安達が、被告国の事業の執行につき原告に加えたものであるから、被告国もまた被告安達とともにこれが賠償の責を負うべきものである。

民法第七一五条にいわゆる「事業の執行につき」とは、被用者がその担当する義務を適正に執行する場合に限定されるものではなく、外形上事業の執行と推認される場合を含み、さらに外形上このように認められない場合でも使用者の事業の執行と適当な関連性があり、社会通念上使用者の活動範囲に属すると認められるものはすべてこれを包含するものと解すべきであつて、たとえ被用者が職務上守るべき内規、もしくは命令に違反し、あるいは、全く職務意識を離れ自己または知人の便益をはかるためその地位を濫用した行為であつても、その行為により第三者に損害を発生させたならば、それは使用者の事業の執行につき生じた損害と解することを妨げるものではない。

これを本件についてみるに、本件事故発生の前夜被告安達の勤務する国立札幌病院の外科の医師の歓送迎会が市内の某料亭で開かれたものであるが、その閉会後被告安達はそれに出席した数名の医師を前記乗用車に乗せてその自宅に送りとどけ、その後右乗用車を車庫に格納すべく運転進行中本件事故を発生させたものである。ところで、歓送迎会とは転任者の在勤中の労をねぎらいあわせて今後の活躍を祈り、または、新任者を同僚として迎えて私的な親睦をはかるとともに今後の事務の円滑を期するものであるから、右の会合が純然たる公務でないとしても、その外形をとらえて考察すれば、右は使用者の事業執行と密接なものがあり社会通念上使用者の活動範囲に属するものと考えられる。このことはたとえ被告安達が同病院の自動車運行規程に違反して自動車を運転しまた同夜使用したガソリンを自らにおいて負担したとしても使用者としての責任を免れるものでない。

以上の次第であるので、原告は被告ら各自に対し、有形、無形の損害金合計金一、〇四八、五七一円、およびこれに対する本件事故発生日以後である昭和三三年七月二二日から支払いがすむまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため、本訴請求に及んだものである。

第三、被告らの答弁および主張

一、原告の主張事実に対する認否

原告主張の一の事実は認める。二aの事実のうち、本件事故現場の道路の巾員が二六メートルであることは認める同bの事実のうち被告安達が酩酊運転をしたとの点は否認するが、その余の事実は認める。同cの事実は認める。三aの事実のうち、原告が本件事故直後国立札幌病院に収容され入院加療のうえ昭和三〇年一〇月二四日退院したことは認めるが、その余の点は不知、同bの事実のうち、原告が入院中無料で加療を受け、かつ見舞の金品を受けたことは認めるが、同病院の態度が冷淡であり全治しないのに強引に退院させたとの点は否認、その余の点は不知、四(被告国のみの答弁)の事実は認めるが、右宴会は全く私的なものであり、また被告安達が同病院の自動車運行規定に違反して上司の許可を得ることなく、勝手に自動車を持ち出したものであり、同夜使用したガソリンも同被告において負担しているのであるから、本件事故と被告国の業務の執行とは何ら関係のないことである。

二、原告の三aの主張に対する反ぱく、

a、原告は、本件事故によつて原告のこうむつた傷害が昭和三三年七月二一日現在においても回復せず、以後一年間も回復の見込みがないと主張しているが、原告の機能障害は昭和三〇年八月二〇日には治ゆしたものであり、かりにそうでないとしても、経験則上原告が作業になれるまでには一、二か月要するとして、遅くとも同年一〇月末には完全に治ゆし、十分な労働能力を回復し得べき、状況にあつたものである。本件において原告労働能力が回復しないというのは、要するに原告の心因的要因に基くものに外ならない。これは精神病理学上災害神経症と呼ばれる精神神経症であつて、ある種の願望、たとえば損害賠償の欲求あるいは作業意識の減退などが潜在意識となり、これがこうじ変形されて現われてくるものといわれている。すなわち原告が後遺症として主張する症状は、本件のごとき傷害をこうむつたものに通常生ずるものでなく、原告に特有の心因的な要因によつて生じたものである。したがつて原告主張の損害は通常生ずべき損害ということはできず、いわゆる特別事情に基くものであり、かつ、被告安達は本件事故当時原告が右のごとき災害神経症を生ずべき肉体的、精神的資質を有するものであることを知つておらず、また知らないことにつき過失がなかつたものである。したがつて、遅くとも昭和三〇年一一月一日以降に発生したとされる損害は特別事情に基くものとして賠償の義務はない。

b、かりに原告は一か月につき金二〇、〇〇〇円の得べかりし利益を失つて同額の損害をこうむり、かつその期間が同年一〇月末までであるとしても、この期間内は原告において国立札幌病院に入院し、その間一日金一八四円の割合による食費(入院、治療費等も無料である)を病院側で負担し、したがつて、原告はその間同額の利益を受けたものであるから、これは右損害額から控除されるべきである。また原告が入院中同病院側において前後二回にわたり原告に対し、合計金三〇、〇〇〇円を、被告安達において金五、〇〇〇円を贈つているから、これまた右損害額から控除されるべきものである。

三、原告の三bの主張に対する反ばく、

前記のごとく右病院側において原告を慰謝するため、その入院加療について無料措置をとり、本件事故直後から全治退院するまで九六日間特別室を使用して加療看護し、病院の職員および被告安達は数回にわたり原告を見舞い、前記金員の外果物一篭を贈り、かつ退院の際、病院側においてハイヤーを雇い原告宅に送つたものであるから、これにより原告に対する慰謝は尽されたものと考えるべきである。

原告は、退院後の肉体的苦痛および労働できないための精神的苦痛をも慰謝料の額の算定根拠として主張するが、これは前記のごとく原告自身の潜在意識から発したものであるからその主張自体理由がない。

四、過失相殺について、

本件事故の際、原告は夜間であるにもかかわらず、尾灯も、後部反射器も設備されていないリヤカーを引き、道路の左側中央部を通行していたものである。したがつて原告においてかかる設備をなし、かつ、できる限り道路の左側を通行していたならば、本件事故は発生しなかつたはずであるから、本件事故はたとえ原告安達に過失があるとしても、それと原告の右過失との競合により発生したものというべきであり、したがつてかりに被告らに損害賠償義務があるとしても、その額を定むるにつき、原告の右過失を斟酌すべきである。

三、被告国の被告安達に対する選任監督について(被告国のみの主張)

かりに、原告の損害が、被告安達が被告国の事業の執行について発生させたものとしても、被告国は次に述べるように被告安達の選任監督につき相当の注意をしていたから、本件損害賠償の責に任じない。

被告安達は昭和一〇年ごろから引き続き主として自動車運転および整備の業務に従事し、その経験が長いばかりでなく、その能力、資格、技倆がすぐれていると認められたので、被告国は同人を自動車運転の業務に従事させたものであり、また国立札幌病院においては詳細な自動車運行規程を設け、かつ運行責任者を定めて運行前にはその指示を求めさせ、さらに運転手に対し常時上司において過誤のないよう注意をしていたものである。

第四、被告らの主張に対する原告の答弁、

被告ら主張の二および三の事実のうち、原告の入院加療等の費用につき右病院において無料措置をとつたこと、病院側および被告安達から被告ら主張の金品の贈与を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。四の事実のうち、原告のリヤカーに尾灯および反射器がなかつたことは認めるがその余は否認する。被告国主張の五の事実は不知である。

第五、証拠関係<省略>

理由

原告主張の一の事実は当事者間に争いがない。

よつて、右の事故が被告安達の過失に基くものであるか否かについてしらべてみるに、当事者間に争いのない事実に成立に争いのない甲第一号証、同第二号証の一、二、同第三ないし第五号証、同第七号証の一、二に、原告および被告安達(後記措信しない部分を除く)の各本人尋問の結果を総合すると、原告主張の二のabの各事実が認められ、右認定に反する被告安達本人の供述部分は措信できず、他に右認定を左右するに足る資料はない。右事実からすると、被告安達は若干酩酊して前方注視義務を怠り路上に砂塵が起つた際にも前方を歩行しているものがいないと慢然と軽信して、適切な措置をとらなかつた過失により本件事故を起したものであることが明かである。

これに対し、被告らは、右事故の際原告は夜間であるにもかかわらず、尾灯、後部反射器の設備されていないリヤカーを引き、道路の左側中央部を通行していたものであり、したがつて原告においてかかる設備をなし、かつできる限り道路の左側を通行していたならば、右の事故は発生しなかつたはずであると主張するが、たとえかかる事実があるとしても、前記認定の事実からすると、これをもつて本件事故の一因をなす過失であるということはできない。けだし、被告安達において前方注視義務を尽くし、かつ砂塵が起つた際に、前方に通行人がいるかも知れないことを考えて、徐行等の措置を講じたならばたとえ原告に右のような事実があつたとしても、本件事故を防止できたと考えられるからである。そうすると同被告は右事故により原告のこうむつた損害金の全額を賠償すべき義務があることは明かである。

つぎに、原告は、本件事故は被告安達が被告国の事業の執行につき発生させたものであると主張するので、以下この点についてしらべてみる。

前段認定のとおり、被告安達は被告国の被用者として、その経営する国立札幌病院において、もつぱら自動車運転の業務に従事しているものであり、原告の主張の四の事実は当事者間に争いのないところである。

ところで、被用者のある行為が民法第七一五条にいう「事業の執行につき」に該当するか否かは、使用者は被用者の行為により、その社会的活動の範囲を拡大しているものであるところから、いわゆる報償責任の見地に立脚し、被用者の行為の結果を使用者の責任に帰属させることが社会通念上妥当であるか否かにより決すべきであり、かかる立場からすると、被用者の行為が客観的、外形的に使用者の事業の範囲内のものであるならば、右にいう「事業の執行につき」にあたるものと解すべきである。したがつてたとえ、その行為が、被用者において使用者の利益を図る意図をもつてなされたものでなく、また内規などに違反してなされたものであるとしても、かく解するに妨げないものと考えられる。これを本件についてみるに、被告安達は、使用者である国の経営する国立札幌病院においてもつぱら自動車運転業務に従事しているものであり、本件事故の前夜右病院外科の医師の歓送迎会が開かれ、その閉会後、被告安達が、右に出席した医師をその自宅に送りとどけた後、その乗用車を車庫に格納すべく運転中、本件事故を発生させたのであり、かつ社会通念上右のような歓送迎会が純然たる私的会合とは見れないところからすれば、本件事故は被告安達が被告国の事業の執行につき発生させたものと解すべきであり、たとえ右運転行為が右札幌病院の配車責任者の許可がなく、(申出をすれば許可されたであろうことは被告安達本人の供述から明かである)また同病院の内規である「自動車運行規程」に反してなされあるいは事実上同夜使用したガソリンを自己において負担したとしても、右結論に何らの消長をきたすものではない。

これに対し、被告国は、被告安達の選任および監督につき、相当の注意をはらつた旨主張するが、たとえ被告のこの点についての具体的主張事実が証拠上認められるとしても、これをもつて、選任、監督、につき、相当の注意をなしたとは到底認められないから、右主張は採用することができない。

そうすると、被告国もまた、被告安達と同様に、原告に対し賠償義務を負担すべきことは明白である。

原告主張の三aの事実のうち、原告が本件事故直後国立札幌病院に収容され、入院加療のうえ昭和三〇年一〇月二四日退院したとの点は当事者間に争いがなく、その余の事実は、証人宇熊和子、同宇熊義光の各証言、および原告本人の供述により認められる。右認定に反する証人谷山武夫の証言は本件と直接的関連性がないところから信をおきがたく、他に右認定を動かすに足る資料がない。

ところが成立に争いのない乙第七号証に、証人鷹田善朗、同小田秋、同辻弘、同森田昭之助(以上はいずれも医師である)同宇熊和子(後記措信しない部分を除く)の各証言、および鑑定人吉田潤一郎、同森田昭之助の各鑑定の結果を合わせ考えると、原告の傷害は、外科的機能的には国立札幌病院に入院中である昭和三〇年八月二〇日ごろ全治し、外科的、機能的な後遺症はほとんどなかつたが、自覚症状としてとう痛を訴えていた等の理由から前記認定の日時まで入院を続け、退院後においても右の理由から翌三一年二月ごろまで同病院に徒歩で通院し、電機治療を受け、その後所々の病院に通院していたこと、ところが同年九月ごろ転倒して以来、前段認定のように歩行すらできず、臥床したままの状態を続け現在に至つていること、昭和三二年三月ごろの診断の結果によると、原告は神経学的にもとりたてていう程の後遺症はなく、右のごとき症状は精神医学的見地からすると、外傷と因果関係のある神経症状態、換言すれば心因的要因に基く災害神経症であつて、これはある種の願望、たとえば損害賠償の欲求あるいは作業意識の減退などが潜在意識となり、これがこうじて現われたものであり、したがつてその心因的要因を除去することによつて右の症状を治ゆさせることができるものであること、右日時現在においても、野菜の行商等の労働はできないけれども、家庭内での軽労働は可能であることが認められ、右認定に反する証人宇熊和子、同宇熊義光原告本人の各供述は措信できず、他に右認定をくつがえすに足る資料はない。

右の事実からすると、原告の現在の症状は右にいう災害神経症であり、かかる症状は本件のごとき事故による傷害を負つたものに通常生ずるものでないことは前顕証拠に照らしうかがわれるところであるから、右の症状のため野菜の行商が不能となり、そのため損害が発生したとしてもそれは原告特有の心因的要因に基くいわゆる特別事情による損害と解するのが、相当である。しかして被告安達が本件事故の際原告が右のごとき神経症を生ずべき精神的肉体的資質を有することを認識しておらず、また認識しなかつたことにつき過失がなかつたものであることは、本件事故の態様に照らし明かである。

しかしながら、原告の現在の症状がその特有な心因的要因に基くものであるとしても、過去にさかのぼつて何時から右の原因に基く症状が発生したものであるかは証拠上明かでないから、証拠上あらわれた事情および経験則に基いて判断し、通常生ずべき損害の範囲を決定しなければならない。

前記認定のとおり原告が外科的に全治したとされる昭和三〇年八月二〇日ごろ以降も引き続き自覚症状として負傷部位のとう痛を訴えていたが、少くも退院後は、徒歩で通院できる程度の状態に至つた。ところが同三一年九月転倒し、その後は、終日臥床を続ける等の状態となつたものである。以上の事実に災害神経症の原因、治療の方法等を合わせ考えると外科および精神々経医学からの点は別として、右外科的な全治の日時以後も他の医学的見地からの後遺症を有しおり、それが漸次快方にむかつていたのではないかとの事実が推測される。また外科的に全治したとしてもその後直ちに従来の労働に従事し得るものでなく、ある程度の体力等の回復のための期間を要するものであることは経験則上明かであり、これを原告の場合についてみるに、原告は明治二七年一二月生れの老婆であり、また負傷の部位、程度、従来なしていた労働の種類および労働時間などからすると、通常の場合よりその回復期間が長期にわたるものと認められる。以上の事実からみて、当裁判所は右のごとき災害神経症にならなかつたとするならば原告は遅くともその外科的に全治した日から約四か月後、退院の日から約二か月後である昭和三〇年一二月一日に至るならば、体力的にも回復し、従来従事していた労働をなすことができるものと認める。

そうすると、原告は被告らに対し、本件負傷の日から五か月間の得べかりし利益を喪失したことによる損害金一〇〇、〇〇〇円の賠償請求権を有しているわけである。

ところが、被告らは、本件事故後原告に対し前記病院側において金三〇、〇〇〇円、被告安達において金五、〇〇〇円を贈つているから、これを右賠償金額から控除されるべきであると主張するが、かかる事故の際、加害者側から被害者に贈る金品は通常被害者を慰謝するためのものであると解するのが相当であり、特に本件において右金員の贈与が右と趣旨を異にするとの証拠はないから、右主張は理由がない。なお、被告らは、原告の入院中病院側において一日金一八四円に相当する食費を負担し、そのため原告はその期間同額の利益を受けた(この点は成立に争いのない乙第八号証により認められる)から、これまた右賠償額から控除されるべきであると主張する。そして右はいわゆる損益相殺の主張であると解されるが、かかる場合の「得た利益」は違法有責な行為と相当因果関係があるときにはじめて控除されるべきものと解すべきところ、本件において右の利益がかかる範囲内のものであると認むべき何らの資料もないから右の主張もまた採用の限りではない。

最後に原告の三bの主張について考えてみるに、原告が本件事故により精神上の損害を受けたことは当然であり、当事者間に争いのない事実に証人長井今朝造の証言および同証言により成立の認められる乙第四号証、同第六号証の一、二を合わせ考えると、被告ら主張の三の事実が認められるけれども、原告の性別・年令・境遇および負傷の部位、程度ならびに本件事故における被告安達の過失の程度、その他証拠上にあらわれた諸般の事情を考慮するとき、その慰謝料の数額は原告の主張する額以下にさげることができず、したがつてその額は金一〇〇、〇〇〇円をもつて相当と考える。

以上の次第であるから、被告らは原告に対し、各自金二〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本件事故以後である昭和三三年七月二二日から支払いがすむまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いをなすべき義務があることは明かである。

よつて原告の本訴請求は右の限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき、同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田口邦雄 賀集唱 小谷欣一)

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